人が目を向けない中世の语汇研究で、フランス语文献研究の基础を筑く| UTOKYO VOICES 077


大学院総合文化研究科 言語情報科学専攻 教授 松村 剛
人が目を向けない中世の语汇研究で、フランス语文献研究の基础を筑く
谁もが学校で枕草子や平家物语の原文に触れる日本人からすると意外だが、フランスではほとんどの人が中世フランス文学の原文を読む机会をもたない。
フランス人にとって、中央集権化が进んで文法や语汇が整理された17世纪以降のフランス语こそが&濒诲辩耻辞;自分たちの言叶&谤诲辩耻辞;であり、それ以前の中世フランス语文献に目を向ける人は限られているという。
「だから日本人の私でも研究者として入っていく余地があったんです」
と松村は谦虚に语るが、中世フランス语の语汇研究者として『中世フランス语辞典』を编纂した松村の功绩はフランスのアカデミア、とくにフランス文学研究?语汇研究の世界に响き渡っている。
小学生のころから、ジャンルや作家や地域にこだわらず、いろいろな本を読むのが好きだった。大学でフランス文学を専攻したものの、近现代の文学研究はどうしても作家ごと、作品ごとに専门が细分化されてしまう。ところが博士课程でフランスに留学したとき、松村は言叶そのものを研究する「语汇研究」に出会った。これだ、と思った。
「中世フランス语では一つの言叶の意味が地方によって违っていたり、同じ语でも中世と近现代では意味が违ったりします。语汇研究とはそうしたことを多くの文献を比较しながら一つひとつ突き止め、実态を理解するための研究です」
たとえば中世ではC’est mon. という表現がよく使われた。英語に置き換えるとIt is my. となり、一文が完結していない。17世紀にフランス人が編んだ辞書では、よくわからないがmonの後に「意見」という語が省略されていたのでは、としている。ただその解釈ではうまくいかないmonが近代の文学にもしばしば登場する。
「実は、尘辞苍は中世で『たしかに』という副词としても使われていました。相手の言叶に「そうだね」と同意するときなどに使われる日常的な表现で、17世纪の文学にも庶民のセリフとして出てくるのですが、17世纪以降の文学研究者は中世のフランス语を知らないために、例の辞书に书かれている解釈でなんとなく済ませてしまうんです」
地道に言叶の意味を追求する语汇研究に比べると、ラブレーやプルーストのような谁もが知っている作家を対象とする文学研究は华やかに见える。しかし、フランス随一の大学で教鞭をとるほどの文学研究者ですら、作品に登场する中世フランス语の理解があやふやなことも少なくない。
「どんなに华丽な説を构筑しても、元にある言叶の解釈が间违っていれば砂上の楼阁に过ぎませんよね。文学研究に限らず、思想や哲学の研究、歴史研究でもそれは同じだと思うんです」
松村が诚実に原典を追い、最新の知见もまとめて一册に仕上げた辞典は、语汇研究の世界だけでなく、文学研究を含め、中世?近代フランスのあらゆる分野の研究に基础を提供した。
「人がやっていないことをやれば、人の役に立つと思って」
中世フランス语はいわば、人目を引かない深い森だ。ほの暗い森をわざわざ选んで松村が歩いた跡はいま、意外にも多くの人がその恩恵をこうむるインフラとして机能している。
一册の本ながら56万项目を収める『中世フランス语辞典』。フランス文学研究の泰斗ミシェル?ザンクからの依頼で编纂を手がけ、完成まで7年かかったが、刊行后1年で増刷に。イギリス文学など関连する他分野の研究者からも広く歓迎されている。
「文学?文献を研究するなら、そこに书かれた言叶の意味を正确に把握しないことには始まりません。でも二次资料や误った解説に依拠した研究が多いのも事実。『原典を正确に理解する』という基本を大切にしたいと思っています」

Profile
松村 剛(まつむら?たけし)
东京大学大学院人文科学研究科中退、パリ第4大学で博士号取得。1990年に东京大学助手、93年より准教授。2012年より现职。中世フランス语(842年から15世纪末)の语汇论?文献学を専门とし、2015年『中世フランス语辞典』をフランスで刊行。その功绩により2016年アカデミー?フランセーズのフランス语圏大赏、2018年に日本学士院恩赐赏?日本学士院赏受赏。2019年よりフランス学士院碑文?文学アカデミーの外国人连携会员。
取材日: 2019年10月10日
取材?文/江口絵理、撮影/今村拓马