震源の近くへ 海の底で起きる地震を海の底で観测する

地震という现象を正しく理解するために、震源近くで観测する--。その目的を果たすため、地震研究所は海底で频発する地震を観测できるシステムを长年开発してきました。このシステムは、2011年の东北地方太平洋冲地震でも活かされましたが、観测の精度が高まるほど、地震のメカニズムはそう単纯ではないことも见えてきました。
东北地方太平洋冲地震の津波の瞬间を计测

図1:2011年の东日本大震灾时に叁陆冲に配置されていた海底地震津波観测システムと津波の高さのデータ
(上)地震研究所が学术研究を目的に1996年に叁陆冲に设置した全长120办尘におよぶ光ファイバケーブルには3台の地震计(翱叠厂1~3)と2台(罢惭1、罢惭2)の水圧计が设置されている。(下)东北地方太平洋冲地震発生直后の水圧计が捉えた水圧の変化を津波の高さで表したデータ。2段阶の津波が発生した様子がわかる。ケーブルを海から陆上へと引き扬げる陆扬局(りくあげきょく)が津波により被灾し、観测が中断した。
© 2016 東京大学地震研究所
2011年3月11日、未曾有の大灾害として记忆に新しい东日本大震灾を引き起こした东北地方太平洋冲地震の瞬间を、地震研究所の3台の地震计と2台の水圧计からなる海底地震津波観测システムが捉えていました。
2つの水圧计が示す数字は発生直后から上昇しはじめ、约15分后には陆地から约65办尘离れた位置にある水圧计罢惭1が、さらに3、4分后、そこから20办尘ほど陆地に近い水圧计罢惭2が、约5尘の津波に相当する水圧の変化を観测しています(図1)。津波のデータを见た地震研究所?観测开発基盘センターの篠原雅尚教授は「これまでにない高さ」に惊愕したといいます。通常、津波の高さは肠尘という単位で表示されているところ、このデータは100倍の尘単位で表示されていたからです。
このデータが示していたのはそれだけではありません。「これまで震源直上を中心に津波が発生するものと考えられていましたが、东北冲地震では、海洋プレートが沉み込む海沟付近で海底が大きく动いて、大きな津波が発生したことがわかったのです」と篠原教授は説明します。
なぜ海底観测が重要か

図2:1923年以降に起きた惭7.4以上の大地震
1964年の新潟地震、1983年の日本海中部地震、1994年の北海道南西冲地震、2003年の十胜冲地震など、1923年の関东地震以降に起こったマグニチュード(惭)7.4以上の地震は、全てが海底下で発生している。
© 2016 東京大学地震研究所
世界有数の地震大国である日本には、2015年现在すでに约1800点の高感度の地震観测点が地上にあります。ところが、日本で発生する大规模地震の震源はほとんどが海底下です(図2)。
「地震という现象を正しく理解するためにも、できるだけ&濒诲辩耻辞;现场&谤诲辩耻辞;の近くで観测する必要があります」と、海底地震计の重要性を説く篠原教授。しかし、海底観测には、电力の制限、海水による高圧?腐食対策が必要、电波(光)が届かない、人が直接操作できないなど、海底であるがゆえの难しさがあります。こういったことをひとつひとつ克服しながら、测器の开発が进められてきました。
篠原教授らが开発を进める海底地震计は、自己浮上式とケーブル式の2种类。测器の开発にあたっては、海洋工学技术や通信技术、材料科学などの周辺技术の进歩もあり、今でこそ陆上と逊色ないほど高精度な観测が可能になりましたが、当初はそれらの技术も未成熟でした。「私の先生の先生たちが、地震计センサ、记録用テープレコーダー、耐圧容器に至るまで、ほぼ全てを手作りで作り始めました」と篠原教授は话します。
改良を重ねつつ进化した自己浮上式
地震研究所で测器开発が始まったのは约58年前のことです。理学部でも始まり、海底地震観测研究が本格化したのはその约10年后。それぞれが开発した海底地震计は、锤とロープを取り付けた海底地震计を海底に沉めて、一定期间観测し、その后、海上に浮かべたブイを目印に回収するロープ係留方式でした。ただし、数千尘ものロープを回収するのにかなりの労力を要するほか、ブイが流されて测器ごと纷失してしまうなど回収时のトラブルが少なくありません。

図3:现在の自己浮上型海底地震计
(上)耐圧球の直径は约50肠尘。下部に沉降用の锤が取り付けられている。开発当初、アナログだったデータ収録は、90年代からデジタル収録方式が主流になりました。(下)海底地震计の设置から回収までの様子。観测のために、船上から地震计を落とす。海底での観测期间が终わり、测器を落下させた位置で船上から音波信号を送ると、海底地震计が浮上する仕组み。
© 2016 東京大学地震研究所
そこで、地震研究所の南云昭叁郎先生、笠原顺叁先生らのグループ、理学部地球物理学教室の浅田敏先生、岛村英纪先生、金沢敏彦先生らのグループは、それぞれ80年代はじめに自己浮上式を开発します。この海底地震计は、决められた时期になると锤から切り离され、海上に浮かんでくるタイマー方式。地震计はガラスでできた耐圧球の中に纳められ、1ヶ月程度の観测が可能です。しかし、タイマーが作动する时期に台风が来て、せっかく浮かんできた测器が流されてしまうことが発生。ならば天候に左右されず确実に回収できるようにしようと、船上からの音波信号をキャッチした测器が自ら锤を切り离して浮上してくる音响切离式へと改良されました。
篠原教授が地震研究所で开発に加わったのは、金沢教授らが観测の长期间化と広帯域化に取り组んでいた2000年顷で、この顷に耐食性に优れたチタン合金製の耐圧球が登场しました(図3)。搭载できる电池も増え、1年间の连続観测が可能になりました。さらに、海水圧から津波や海底上下変动を割り出す精密水圧计、大きな震动が来ても饱和しない加速度计など、目的に応じた様々な机能を加えていきました。
低コストで多地点を観测できる自己浮上式は海外との共同研究にも适しており、地震により大きな被害が出るニュージーランドやチリでの観测でも活用されてきました。
リアルタイムでの観测が可能なケーブル式
もうひとつのケーブル式海底地震计は、电信电话技术を全面的に利用し、海底通信ケーブルの中継器の代わりに地震计とした気象庁の御前崎冲のシステムが日本における第1世代です。これは铜线によるアナログ伝送方式でしたが、第2世代として、1993年に地震研究所が伊豆半岛冲に设置した海底地震観测システムからは、光ファイバーを使ったデジタル方式を採用しています。

図4:ケーブル式海底地震観测装置
(上)2010年に粟島沖に設置したケーブル式海底地震计。(下)ケーブルの先端は陸上に繋がれており、電源供給は陸上から行い、データは陸上に伝送される。 © 2016 東京大学地震研究所
「自己浮上式は、测器を回収した后でなければデータが手に入らないのに対して、ケーブル式はデータがリアルタイムで伝送されるので、その瞬间に起きていることをモニタリング観测できます」と、篠原教授はケーブル式のメリットを説明します。
地震研究所が现在开発中の第3世代は、小型化?省电力化を実现しつつ、设置后の拡张性も持たせたタイプへとさらに进化(図4)。インターネット技术によるデータ伝送が最大の特徴で、マイクロコンピュータを搭载した観测装置同士が通信することもできます。こちらは2010年に新潟県粟岛冲に设置した全长25办尘のシステムに続いて、2015年には叁陆冲に全长105办尘のシステムを设置。「ケーブルの间には、3台の测器を设置しています。陆から最も远い测器は、地震计の他に拡张ポートを搭载し、水中でも抜き差しできるコネクタがついているので、海底设置后でも海中ロボットを使って新しいセンサの追加や交换ができます」と篠原教授は目を辉かせます。
浅部プレート境界で起こる现象を発见
地震が起きる背景には、プレート同士がどの程度接着しているかという「固着の状态」が影响すると考えられています。最も単纯な説明は、固着状态が弱いプレートは常时滑るのに対して、固着状态が强いプレートは滑らないため、时间とともに加わる力が大きくなり、その力に耐えられなくなると固着した箇所が壊れて地震が発生するというものです。
そして、プレート境界型地震は、固着が弱い浅部のプレート境界ではなく、より深いプレート境界で発生すると考えられていました。ところが、东北冲地震のデータは、浅部プレート境界が地震発生时に大きく滑ることを示していました。
浅部プレート境界のさらなる理解が必要と、2013年、篠原教授らは、九州大学などと共同で、九州东方の日向滩に12台の海底地震计を设置。3カ月间の観测により、浅部プレート境界で低周波微动と呼ばれる小さな振动の震源を明らかにしました。さらにデータ解析を进めると、その低周波微动の震源が移动していることも分かりました。この结果は、浅部プレート境界でスロースリップ(ゆっくりしたすべりが継続する现象)が起きている可能性を示すものでした。
2015年は観测期间を1年间に延ばした海底地震计を、日向滩に再び沉め、2016年1月初めに回収しました。そこにはどんな现象が记録されているのか。5年前を振り返り、「海洋プレートが沉み込むということについて理解していなかったのだと思い知らされました」と话す篠原教授ですが、海底で起きていることへの理解を深められればと、データに期待を寄せています。
取材?文:牛岛美笛
取材协力

篠原雅尚教授