蔵出し!文书馆 第57回


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蔵出し!文书馆 収蔵する贵重な学内资料から 140年を超える东大の歴史の一部をご绍介 |
第57回 东大って、いつから「东大」?
日本の组织で、外部から文書を受け取ると、受け取った部署と日付を記録するため、その片隅に受領印を捺します。ここに挙げた写真は典型的な受領印です。さて、このハンコ、いつの時代のものだと思いますか?
実はこれは昭和 4年(1929年)1月30日のものです(『諸向往復昭和四年』(S0004/67)より)。つい最近押したかのようなクリアな印影であることにも驚きますが、それ以上に「东大」という略称が戦前から使われていたことは驚きでした。え、東京「帝国」大学時代にも略称は「东大」だったんだ ?!
日本に制度上公式の大学が東京大学だけだった時代は、「大学」とだけ言えば用が足りました。明治30年(1897年)に京都にも帝国大学ができて、はじめて二つの大学を区別する必要が生じます。略称としてはたとえば「東帝大」あたりを思いつきますが、定着したのは「帝」をぬいた「东大」だったということでしょ うか。いや、これはハンコのスペース節約のための特別な表記かもしれません。少し他の資料を探ってみましょう。
文学部哲学科教授の井上哲次郎の日记には、大正4年(1915年)10月18日に「夜、京大文科大学教授等の為に???」との記載があります(〔巽軒日記〕大正四年〔(西暦一九一五)下半期〕(F0005/01/0023))。また、 京都帝国大学総長を務めた羽田亨の日記には、昭和18年(1943年)9月27日に「午后东大を訪ひ???」と いう記載があり、他にも「阪大」「名大」も出てきま す(京都大学大学文书馆『羽田亨日記』)。日記には著者としての自然な言葉遣いが出ると考えられますので、 これらの表記は日常的に使われ定着していたものと考 えてよいでしょう。旧帝国大学の今も使われる略称は、 それぞれの大学が設置された早い段階に生み出され、 広く使われていたのですね。
さて「东大」です。引き続き、できるだけ古い用例を探ってみたいと思います。
(准教授:森本 祥子)